博多出土のイリドスミンの謎

灰吹きの坩堝からイリドスミンが検出されたとな? 実は以前に聞いていた話ではあるが、疑問点があるのでこの際書いておこう。

https://mainichi.jp/articles/20171210/ddp/014/040/009000c

 国立科学博物館の沓名(くつな)貴彦・研究主幹(保存科学)は、金属製品に関連した遺物が集中する地点の出土品を顕微鏡で調べ、16世紀後半から17世紀前半の金付着の遺物5点、銀付着30点を確認した。金付着のるつぼ片の表面をX線で調べれば、金を溶かした際に残ったヒ素などの不純物の元素が分かる。沓名さんが注目したのは、るつぼ片から検出された、白金(プラチナ)に近い金属の種類「白金族」のイリジウムオスミウム。白金族の産出は国内では北海道に限られるため、沓名さんは「北海道からの砂金が日本海側の交易で持ち込まれた可能性がある」と指摘する。鉄以外の金属で、当時の北海道と本州以南との交流を示す遺物として極めて珍しい例。

詳しい話は数年前に報告書が出ていて、『平成23年度福岡市埋蔵文化財センター年報』
http://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/23/23257/17123_1_%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82%E5%9F%8B%E8%94%B5%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%B9%B4%E5%A0%B1.pdf

 破片のため大きさは不明な坩堝片(89594273-2)の表面には、金とイリドスミンの複合粒子が確認されている。
他にも、タングステンが確認されており、この金に含まれた不純物と考えられる。
 このイリドスミンは、世界でも産出する場所はかなり限定され、日本では北海道中央部付近から日本海側にか
けてでのみ産出する。また、付近では金も産出するため、砂金・砂白金として得られることがあり、この金の生
産地は北海道の可能性が窺われる。
 江戸時代初期、ジョン・アダムスとともに来日したイギリス人船長ジョン・セーリスの記録である『日本渡航記』
には、蝦夷に行ったことのある日本人が江戸の町で伝えた情報が記されている(村川、尾崎訳1970)。そこには、
“彼らは銀及び砂金を多く有し、それで日本人から米、その他の物を買う。”とある。北海道では銀の産出は知ら
れておらず、砂金採取とともに銀を入手していたとすると自然銀と推測されるが、その可能性は極めて低いとみ
られる。そのため、ここで記される“銀”とは“砂白金”のことと推測され、とすれば当時北海道で採集された
砂金が北国船による交易によって、博多までもたらされていた可能性が考えられる。

ん〜?
イリドスミンとタングステンが同時に検出されることを考えると、北海道の砂金が博多に持ち込まれることを考えるよりは、岩手県一関周辺の砂金が持ち込まれたことを検討した方が良いのではないだろうか?
一関周辺であれば宮沢賢治が調査した買い付けた砂金に混入したイリドスミンの話 http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20090526 もあるし、この地域〜東の一帯にかけてはタングステンの鉱山も点在する。 https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php?lat=39.22243&lon=141.55682&z=11&layers=seamless_geo_v2&ol=mine_jp 博多に運ばれた砂金の中にイリドスミンとタングステンが含まれていた可能性は低くないだろう。

一方で、北海道のタングステン産出は・・・ http://www.msoc.eng.yamaguchi-u.ac.jp/collection/element_20.php 北海道では聞いたことがあったかなあ?と言う程度。砂金に含まれるほど産出するだろうか?

『日本渡航記』にある銀に関しても、アイヌがどこから銀を入手したのかは謎が多いのは確かだが http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20170217 太平洋戦争中に必死で年間10kg程度の砂白金を掘った話を考えればアイヌが多量に持っていた銀が実はイリドスミンだったというのは考えにくい。当時の人にとってはイリドスミンは溶融不能なただの銀色の砂でしかないのだ(プラチナみたいに大気中で加熱したら酸化するし・・・)。

そんなこんなで福岡の遺跡で融かされた砂金は北海道産よりは可能性の高い産地が他にあるんじゃないのかな〜?っと。