これが本当の隠し金山?

坑口を塞いで金山の存在を分からなくしてしまう話は聞くが、金山を水没させてしまった話・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/ssyinb27/14175644.html

独眼竜で有名な伊達政宗は、高子の金鉱石を採掘・精錬していたが、天正19年(1591)、豊臣秀吉によって伊達郡信夫郡などを召し上げられ、岩出山に移された際、次期領主の蒲生氏郷に金鉱の存在が分からぬようにするため、堤防を築き、精錬所跡に水を引いて沼にしてしまったという高子沼の伝説のようです。
 なお、上保原村鑑指上帳(寛保2年(1741)6月)の「金銀銅鉄山」に、以下のような記述があり、八拾年(1661年)余以前の米沢藩統治当時に高子の金山を採掘していたことが表されています。
 是者内山銀山掘跡八拾年余以前羽州米沢御知行之節、陸奥信夫瀬上村
 治右衛門申者御願申上、銀山繁盛仕堀尽、其後相止、此外金銀鉄山無
 御座候
 これは、万治元年(1658)12月16日(以御黒印奉行郡代江命令)に「金山近年不吟味故か能山不出候間借米をも致山をも見出候様に可申付事」とされており、米沢藩が鉱山開発を奨励していたことと関係があるのではないかと勝手に考えています。

一方、「伊達政宗の金山伝説が残る・高子沼」には、高子沼の周辺には金鉱山の坑口が残っており、昭和初期には高子沼の底から中世のものとみられる鉱石粉砕用の石臼や廃鉱石が多数出土したとも記載されていました。
 ということは、高子に金山があったというのは事実ということなので、またまた資料探しです。
○ 「高子沼の伝説を科学する(田子健吉著、昭和25年8月発行)」のP23〜P30に、水路修繕のために減水した高子沼の沼底を昭和12年9月下旬から約3か月調査して、沼底から鉱石粉砕用の石臼や廃鉱石などが出土したと記載されていました。

と、実際には水没していない坑口もあったわけで、本当に金山を隠すために沼を造ったのかは・・・まあ、伝説ということで。


この沼か。

しかし、こちらの資料を見ると高子沼に沈んでいる精錬設備というのは 富保金山のものじゃないのかね?距離的に。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ganko1941/26/5/26_5_244/_pdf/-char/en