六厩金山
旧荘川村六厩地区の北西5Kmの六厩川左岸、西ヶ洞の中腹に坑口があったのである。金
森時代の1600年代には稼働していたようである。「飛騨国もまいと申す金山に御座候。
げん屋と申す御坊主檀那に御成候、もまい金山衆一人宛も御引付申可給候との御坊主に見
候、此六月に御参宮銀壱枚被給候」尾張国津島神社の御師の家に伝わる記録「大吉御檀那
帳」の慶長14(1609)年の記録より
何々? 「六厩の金山には“げん屋”という名前の兼業のお坊さんがいて、そこにとても偉い人が訪ねてきて・・・」(10/29追記 この部分、大きな勘違いをしているらしい)
全体の文意は判らないけど金山師なのかなあ?六厩の坊主檀那(=毛坊主)といえば当時は六厩の金掘り・岡田家もまだ正式な寺(了宗寺)になっていない時代だから坊主檀那だよなあ?と思って荘川村史を確認してみると・・・
あった! 幻西という金山師・僧侶が片野、六厩で金採掘をして、1609年に二代将軍秀忠に名古屋城の金の鯱をつくるための金を献上しているのだ! “げん屋”はおそらくどの段階でか西→屋に誤認されてしまった結果なのだろう。
日本古典籍くずし字データセット から「屋」と「西」を比較してみると(上が屋、下が西)
日本古典籍くずし字データセット | ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター
・・・うん、似ている字もあるかな?
尾張国津島神社の御師の家に伝わる記録「大吉御檀那帳」とか、1609年の記録が名古屋城の金の鯱を作製とリンクする話なのかはこれから調べてみるかな。