『斐太後風土記』

清見村誌』の片野金山の項目を読んでいたら『斐太後風土記』からの引用があって・・・ん?『斐太後風土記』ってこういった感じの記述だったろうか?

コピーとってあったよな~

https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F952768&contentNo=29&outputScale=1

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そうそう、こういった形だったはず・・・

と思ったら『斐太後風土記』は2分冊だったらしく、高山の図書館には上巻だけが開架で置いてあったので下巻の存在に気がついていなかったのだ。

で、改めて国立国会図書館デジタルコレクションで金山のある村の項を読んでみると・・・

片野金山

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六厩金山

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森茂金山

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どの金山も「溝と石垣」の跡、つまり柴金採掘の跡があったとある。
ん?森茂金山の記述を読むと、せり流し後の砂金(の混じった土砂)を石臼で挽いてからゆり分けをしている。石喰砂金が多かったのだろうか???