「一五〇四年(永正元)ころの中野照蓮寺と山科本願寺」

借りてきた『飛騨の中世』第11号 に「一五〇四年(永正元)ころの中野照蓮寺と山科本願寺」(二反田 實)

1485年頃からの西飛騨の寺院(道場)への方便法身尊形の下付する意図(の一つ)は金山師を兼業していた坊主達を掌握し、金づるを確保するためだったのだ~

・・・まあ、地域性を見てみるとそういう一面があったのだろうなあ、とは思うのだが岡田家の伝承(論文中に岡田家の伝承が出てくるわけではない)以外にもそれを裏付けるはなしが出てきて欲しいところだ。