嘉念坊善俊の没年は?

本願寺蓮如の研究 下』(小泉義博)に

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蓮如の書状の別解釈があるということで読んでみた。

嘉念坊善俊の没年に関しては白川村方面での解釈は

本書状にある「跡」という書き方は実際に書かれた当時の慣例で死後7〜8年を指すため、善俊は1480年代初頭まで、蓮如上人と同じ時代を生きていた人物であること

つまり1480~1490年頃を没年と推測しているのが、『本願寺蓮如の研究 下』では「跡」は単なる後継者たちとして上記のような解釈は行っていない。また、本尊裏書の取り次ぎをしていた白川善俊の名前が消える1498年の正月からまもなくに死去した、と結論しているので約10~20年弱のずれが生じることになる。

さて、どちらの考え方が正しいのだろうか?