続 六厩岡田家と小原長者

garimpo.hatenablog.com

たまたま借りていた『荘川村史 続巻』を読んでいたら・・・最後の最後に「岡田家のの風土記」(松井嶋子)が収録されていた。『高山市史 街道編(上)』では何代目の事跡か不明だったが、こちらには代ごとの事跡が記載されている。

各代の記述を読んでゆくと・・・あ、これだ! 了宗寺の二世了宗、僧侶であり金山師でもあった人物で、松谷・六厩の金採掘を行い、文亀元年(1501年)松谷に道場(この場合は私的なお寺のようなもの)を建立、そして

信仰心の篤い了宗は、年老いてからも松谷(小原・大原)はあまりにも多くの金が採掘できたので、浄財を馬にのせ峠を越え、京都の実如上人に度々足を運ぶので、了宗には京都によき人がいるのではと言われる程に松谷より参上したという。

浄土の旅立ち近くなった頃、辺りに居た人々に、小原にいけておいた金は、本山の仏様に献上するようにしてあるといって亡くなった

この部分が「小原長者の伝説」と非常によく符合する。

やはり「列を成して京都に向かった黄金」は山科本願寺に寄進された黄金であり、

一昨日は年代の推定を1460~1466年あるいは1480~1500年の頃としたが、実如上人の没年(1525年)、本願寺の山科時代(1480~1532年)を考えれば1520~1530年頃が了宗の晩年ではないだろうか?

まとめてみると、

・1500年代初頭は松谷の砂金稼ぎも盛んであり、財を成した岡田家の先祖・小原長者とも呼ばれた了宗は亡くなる際(1520~1530年頃?)に財産を京都の山科本願寺に寄進した

了宗寺の二世了宗は調べたら没年が記録に残っている可能性があるので・・・図書館が再開したら調べてみるかな?