「湯之奥金山遺跡の研究」(湯之奥金山遺跡学術調査会) p.253 第34表 明治中期に於ける金鉱山開発動向から雨宮敬次郎関係部分だけ抜き出すと・・・
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- 明治23年3月27日 雨宮敬次郎が都川村保地内字尾白川、都川村三里村地内字早川、富里村湯ノ奥字金山沢の砂金採集延期願いをを届ける
雨宮敬次郎は http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20120423 明治19年頃、砂金採集に興味を持って、翌明治21年に出身県である山梨県内の砂金鉱区を入手。
しかし、明治23年には砂金採集業には見切りをつけたのだろうか?採集延期願いを出している。いや、雨宮砂金採集団の第一回渡道が明治23年頃とも言われているから、砂金掘りの技術者集団を山梨よりは有望な砂金産地である北海道に送るので山梨の方は休止しておけ・・・ということかな。
今後の大陸での砂金採取技術者の育成を考えれば、川筋だけで砂金を掘る山梨よりは、河川周辺部まで大規模(日本的砂金掘りの規模からすれば)に採掘できそうな北海道の方が都合が良い・・・という意味合いもあったのかもしれない。
こういうことを調べるなら年次の鉱区一覧が手元にあると便利だなあ・・・ん?鉱区一覧だけでは登録されているやつしか分からないか?