採掘禁止

時に砂金掘りは「人心を惑わす行為」などとして禁止されることがある。南三陸町の入谷地区とか飛騨高山の森茂金山もそうだったかな?
滋賀県湖南市石部にも似たような話があるようで・・・

http://www.edu-konan.jp/ishibeminami-el/kyoudorekishi/100000200.html

 厳しい緘口令(口をとじていわせない命令)や法度の上から、「奥のみ山に宝がござる、人に言うなよ語るなよ」ということでゴールドラッシュおこらず、はなはだ伝説めいてくるが、砂金も少しは採れたということである。

 昔、村に孝子息の与吉という若者がいた。型の如く家は貧しく、病弱な両親を抱えてのたつき(生計)はたいそう耐えがたかった。そこで、ある日、与吉は意を決して山に登り、砂金の出る渓に降り、禁制の「猫ながし―砂金を採る方法」をしようと思い、流れにしゃがむと、にわかにあたりの杉や桧の林がビシビシと強く鳴りだし谷にこだました。しばらくすると、谷の中は夜のようにまっ暗になり、与吉が気がついたときは、夜とも昼ともわからぬ空間に、赤や青の瓢箪がたくさん漂い、与吉はその中に浮いていたという。

ん〜、金が採れた話は知らなかったけど、伝承としてはあるのね・・・

 ◆石部金山 (いしべかなやま)
 金山(かなやま)は、石部山吹屋谷に延宝3 年(1675)330 年前に開発されたといわれるが、その時は岩窟があったとされる。数百年前に銅山として採掘されたが量が少なく、勘定に合わず中断したと記されている。石部金山(かなやま)は、かなり古い時代から銅の採掘が行われていた事がわかる。野洲町に明治14 年に14 個の銅鐸が、また、昭和37 年にも10 個が発見されているが、野洲町の大岩山とは直線距離で直北に僅か7km足らずの近距離にある事でもわかるように、この銅鐸の銅は石部金山で採掘されたものではないかとも言われている。これは栗東市辻に鋳物師の村があり蒲生町に大字鋳物師がある。

 これらをみると繋がりがあり、平安時代には金山(かなやま)から金を産出したと伝えられているが、それ以前、天平14 年(742)1250 年前に聖武天皇が山城から信楽へ紫香楽の宮を造営され、天平15 年には大仏造立の発願の年であり、この建築に使用する鉱物がこの金山(かなやま)から採掘されたといわれている。