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忠臣蔵の時代、元禄4年、江刈周辺で南部八戸藩最大の金山が発見され金山奉行所が3ヶ所に併設されました。
江刈金山奉行所・江刈金山岩口金山奉行所・江刈金山小屋掛奉行所の3ヶ所です。
金採掘の方法は樋に砂利を入れ、水で流しむしろで砂金を回収するほうほうでした。
江刈地区は、金山ブームに沸いたといわれます。
又、田部の根地戸地区には穴子観音があり、純金でできた観音さまです。
観音様の周囲には金を採掘した穴があり、平糠金山に続いております。
平糠金山は、昭和の初めまでつづいた金山でした。
私の子供の頃には、砂金を馬淵川の砂から採取する山師がたびたたびきておりました。
1日御碗山盛りの砂金がとれたようです。
このたびの10月6日の豪雨で川の流れもかわり、金が採れるのではないかと、古老がいっていました。
えー、一日にお椀山盛りの砂金は・・・1〜2kg?
岩手の産地は遠いが、その中でもさらに遠い地域・・・このあたりは殆ど訪れたことがないかも?
歴史的な記述はこれからかな?
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○ 江刈金山(岩手郡葛巻町江刈地内)
当金山は盛岡藩から寛文 4 年(1664)に分立した八戸藩領内に位置するため、関係文書が八戸市に在るために詳細が不明であるが、『葛巻町史』の記載からその概要を要約して記載する。
位置・場所−現在の岩手郡葛巻町は、その範囲全体が広義の北上産地に在り、一戸町の平糠金山の至近に当江刈金山が位置し、金山の位置する江刈は本来「江刈村」であったが、合併により葛巻町に編入した。
沿革−当金山は元禄 4 年(1691)に八戸藩最大の金山として発見され、採掘を開始したと言う。
これに伴い藩では江刈金山奉行、江刈金山岩口御金奉行、また、江刈金山小屋掛奉行などを配置し、藩直営で採掘に取り組んだ。この頃の採掘坑道の跡が各地に散見され、坑道の開削などもあり山相を変貌させた場所も随所に存在する。延宝元年(1673)6 月 21 日の八戸藩日記に「葛巻之内蒲ケ沢、九戸郡の内瀬之木此両処御金山望申付而被遺候云々」の金山運上証文があり、この金山の所在地は明確でないが、葛巻町に金山が存在したことは確実であろう。
当金山は南部藩領の二戸郡平糠金山とは冬部地区の根地戸山を挟んで至近距離で接する関係にあり、根地戸山地区に鎮座する穴子観音と言う祠堂には平糠金山から採取した純金で作られた一寸八分の聖観音像が安置されていると言い、この付近一帯には採掘による坑道の他、地面には無数の凹凸・窪地が見られ、採掘の凄まじさを物語っている。
また、同村毛頭沢川周辺には金鉱石の選別の際に廃棄された岩石山(ズリ山)が各地に見られ、河川敷の川砂金を採取のために稼行した痕跡と考えられる。