文明の産金

先日養父の図書館に寄った際に中瀬金山に関する文献を探した。

一般に中瀬金山の発見は

中瀬金山 | 日本精鉱株式会社

1573年(天正元年)8月、氷ノ山越えをして来た因州(鳥取)の旅人が大日寺(現製錬所入口北方50m)の傍らで砂金を発見したことから、中瀬鉱山の歴史が始まりました。

天正年間と言われているが、文献の中には文明年間(1469~1487年)発見説について触れているものもあった。

こういった話は各地の鉱山に残っていて、誤認や時代を古く騙っている例もあるのだろうけど・・・最近思うのが、こういった話は坑道採掘の年代と砂金採掘の年代が共に伝わっているからではないか?とも思うのだ。

加えて、文明年間の産金活動は佐渡(や飛騨)の産金時期と重なるのは気になるところ。単に「各地で産金活動が盛んな時期だった」という可能性も大きいが、調べたら共通項が見つからないかなあ?