再度「花巻物語事典」から

1939年7月20日の記録岩手日報の記事  
https://hana-isan.com/Search/single_page/1/3006

太田村三ツ澤上流で砂金発見
稗貫郡太田村三ツ澤上流で肉眼でも確認できるほどの砂金が発見された。花巻営林署では職員を派遣して調査中である。

先日紹介の http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20170306 旧:湯本村大字北湯口 現:花巻市北湯口 より8kmくらい南下した場所。時期も翌年だから、この時期あちこちで砂金鉱区開発がされていたのだろう。
Wikipediaで1939年の項を見ると https://ja.wikipedia.org/wiki/1939%E5%B9%B4 昭和14年

・2月14日 - 日本国民に対し「金製品回収・強制買い上げ」を日本政府が実施
・5月12日 - 満蒙国境で日本・ソビエト連邦両軍が衝突(ノモンハン事件

・・・なるほどねえ・・・

1938年7月1日現在の砂鉱区 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908287/131

1939年7月1日現在の砂鉱区 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908287/306

これらでも、先日の北湯口(湯口)の鉱区と太田の鉱区が確認できる。ただし、太田の鉱区は日にち的にこの岩手日報の記事の鉱区ではないだろう。
鉱区申請はあったのかもしれないが、残念ながらそれが記載されているであろう国立国会図書館デジタルコレクション中に1940年の仙台鉱山監督局管内鉱区一覧が無い。
1942年のはあった。
1942年7月1日現在の砂鉱区 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070599/234

この時点で太田の鉱区が増えているから、“砂登四〇九”が該当するのかなあ?



http://maps.gsi.go.jp/#15/39.394434/141.010938/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0