ササラ風土見聞録「黄金の山々」

なにやら国土交通省胆沢ダム関連のサイト内にあるようだが・・・

http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_45/vol45_2fr.htm

古(いにしえ)の岩手は黄金の国であったが、それは現在も変わりないのだ。
 俄然やる気が出てきた。
 そこで奥州市江刺区の沢に潜り込む計画を立てた。そして、[つて]をたどり砂金採り体験に先立ち、江刺区米里在住の郷土史家、利府真三(りふしんぞう)さんに江刺の産金についてお話を伺うことにした。
 しかし……。
 取材日はあいにくの秋雨が叩きつける悪天候。前後の予定が詰まっていて、その日以外は時間がとれなかった。
 えーい。ままよ! とばかりに、我が家に集合した編集者T氏、カメラマン氏とともに家を飛び出す。
 利府さんにお話を伺っているうちに低気圧が過ぎ去らないとも限らない。
 人首(ひとかべ)小学校の駐車場で落ち合った利府さんは、穏やかな人柄の方だった。雨のために野外での取材は不可能なので、我々のために公民館に一室を借りる手はずを整えておいて下さった。
 地図のコピーをいただき、しばし江刺・米里の産金の歴史をうかがう。驚いたことに、米里だけで、十九箇所もの金山跡があるという。
 かつては新しく坑道を掘ると、いつ掘られたとも知れぬ古い坑道に突き当たることもあるほど、多くの金山があった。しかし「一トンあたり十三グラム」という採算の壁が重くのしかかり、やがて一つまた一つと閉山して行ったのだった。それでも、戦後すぐくらいは川で砂金を採る人の姿も見られたという。
 説明を聞きながら窓外に目をやると、強風は収まり、雨も小降りになっていた。
 我々は早速、最も古い金の露天掘りの跡と目される古歌葉(こがよう)金山跡に向かった。
 植林の杉と下生えの雑草で露天掘りの跡は覆われていたが、
「今でも金採掘のために砕かれた石があり、希に金が含まれていることがある」
と、利府さんに教えられ、体を壊しているぼくの代わりに編集者T氏とカメラマン氏が道下に降り、数個の岩の欠片を採取した。

米里ってどの辺りだ?

あー、田瀬湖と種山高原の間の地域なんだ。 田瀬湖と種山高原はそれぞれ東西に走りぬけたことはあるが、南北には走ったことが無い*1。って言うか、ここを結ぶ道があって、金山も多い地域だったのね〜

*1:いや、蛇紋岩体を追って走ったかなあ?