「勝興寺」でリンクする佐渡と飛騨の砂金掘り

15世紀の後半に浄土真宗門徒が飛騨や佐渡で砂金を掘って本願寺に献上している。飛騨側の主体は了宗寺や長林寺(の前身になる道場主達)、佐渡側は西三川にあった勝興寺や赤泊(莚場)の本龍寺の門徒達と言われている。

16世紀初頭、佐渡・西三川の砂金掘りは衰退し、門徒も各地へ散っていったと思われるが、勝興寺の名は富山県の土山御坊が引き継いだ(1517)。

5年後の1522年・・・

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大永2年(1522年)、勝興寺勢と加賀専光寺勢は内ヶ島家当主雅氏の弟氏教と共に越中多胡城を攻めて畠山勢と戦うも敵味方共に甚大なる被害(氏教が戦死する等)を出して停戦、和睦した。

この時内ヶ島と共に了宗という僧が参戦しているのだが、井上鋭夫の『一向一揆の研究』によればこの了宗は

飛騨の了宗とは? その3 - 砂金掘り日記

六厩・了宗寺の了宗(=飛騨の砂金掘りの元締めの一人)と言えそうである。

この時戦った勝興寺勢の中に西三川の砂金掘りがいたかといわれると、そこは疑わしい話にはなるのだが、この点で一応、飛騨と佐渡の砂金掘りでリンクする点が見つかったということで・・・他にもっと繋がりが見つかると面白いのだけど。