七間とい

上滝金山の下流、柴金遺構のある“七間飛川”

古い(といっても明治・大正)資料を見ていると金山として明治5年調べの『飛騨国鉱山箇所概表』には“七間戸樋”、大正5年頃(?)の『斐太後風土記』には“七間樋山”と書いてある。

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以前に地元の人に“七間飛”の名前の由来を尋ねても川幅のことではないのか?ということだったが、複数の古い資料に樋の字が使われているところをみると柴金採掘をしていた時代に長さ7間(約13m)の長い樋を使って樋流しを行っていたのではないだろうか? そして時代が下って柴金を掘ったことが忘れられると“戸樋・樋(とい)”→“飛(とび)”と文字が置き換えられた可能性がある。 他の古い資料にはどのように表記されているか調べてみたいところだ。

・『飛州志』や『飛騨国中案内』には書いてないな~