搗き臼?(蔵柱金山)

昨日、そぶ谷探索の後で地元の集落の方に話を聞きに・・・

臼はありませんか?と尋ねると

米を搗いたという臼が水受けになっていたが、その横に

ん~?この6ヵ所ほど窪んだ石は搗き臼なのでは? 近くには鉱石だと認識して持ってきたと思われる石英塊も一つあった。

そのお宅の脇には

合併前の上宝村教育委員会時代の立札が。文字の部分だけ印刷の樹脂が残っていて、大久保長安云々と読める。山の反対側の森部金山は佐渡の坑夫を連れてきて云々という話があるが、それと関係するかも?しないかも?

付近にある神社の説明には信濃の鉱山技術者云々と記述があり、この記述とは整合性が無いが、2系統の人々が入ってきた可能性はあるのかな。

しかし、これらのことは『上宝村史(誌?)』には記載がなかったように思う。地元の言い伝えというところかな。

5.12追記

お爺さんが存命の頃は坑道の位置もご存知だったらしい。それも、話を聞いた当時には埋もれていた(以前は開口していた)そうだが。