下伊那の金山

http://www.mis.janis.or.jp/~risoku/MetalMines_of_IidaShimoina.htm

『南信伊那史料』の金石土性村別表の「黄金」の項に、下伊那では和合丸山一ヶ所しか記載されていない。なお上伊那には「三義村三ヶ所、美和村二ヶ所」がある。
 これらの文献から、金谷あるいは金谷の近くのどこかで、金・銅・鉄を採掘したことがあった(噂も含めて)ということがわかる。
 金光利秋さんからお話を聞いた(1997)。金光さんの家の屋号は「金谷」。先祖は川田(阿南町大下条)に住んでいた。武田信玄の支配が及んだときに、茅野市の金沢金山の金堀に派遣された。その後、この金谷で鉄がとれるということがわかると、信玄によって金谷へ回された。それ以来、ここで鉄の採掘に従事するようになったという。いつごろまで採掘していたかはわからない。宅地の南方の一段高いところに鍛冶屋場があって、ここで鉄を造っていた、と言い伝えられてきている。鍛冶屋場の跡は不浄にしてはいけないので、今は池にしている。鍛冶屋場を取り壊した時に、そこに祀られていた金山様はお鍬様と合祀した。また、敷地内から石皿が三枚みつかっている。家の付近一帯から、鉄を取った残りだといわれている鉱石が出てくる。江戸時代には和合心川の名主役も務めた。
 裏手に坑道がある伊東千代さん宅の前向かって右手には、かっては縦坑があった。現在は埋まってしまったが、それは信玄が金を掘ったものだという。
 戦後になって1960年代に日鉄鉱業が試掘したたことがあった。それは売木村に出る峠の近くで、5日ほどかけて調査し、金光さんも採掘を手伝っている。その時には磁鉄鉱を精錬してみたが、硫黄分が多くて使い物にならない、ということだった。

少し南に下ると津具ですな。