アイヌは砂金を掘ったのか?

http://blogs.yahoo.co.jp/arch74324/archive/2010/11/13

近年の調査によって、日高の山間部に古代遺跡が密集する状況が明らかになってきた。そこからは銅鋺など高価であったに違いない本州の産物が多く出土する。これは当時にあってかなり特異な状況なんだ。では日高の古代アイヌは何を対価としていたのか。それも山奥の狭い谷筋に暮らしながら。研究者は頭をひねる。シカかもしれぬ。あるいはオオワシかもしれない。だが腑に落ちない。ストンと落ちない。ひょっとすると砂金が関係していたのではないか。すでに古代から平泉あたりの和人の金堀が日高に入り込み、あるいは在地のアイヌが砂金採取を行っていた可能性はないだろうか、とオヂサン(私のことね)は考えた。

どうだ、驚いたか!(っていうか驚けよ!)。付言すれば、銅鋺は当時の日本では平泉と日高あたりからしか出土しない。だからこの銅鋺は、砂金の対価として砂金産地のアイヌとの交易用に平泉で製作し流通していた可能性が考えられるかもしれないんだ。
「藤原三代の栄華を思うとき、それをささえた莫大な黄金の量は、どう考えても、みちのくの砂金ばかりではまかないきれなかったはずだ、と指摘する研究者もいるほどである。金箔の肉眼鑑定はともかくとして、科学技術が進展した今日、近代的手法を駆使して、国内の古い金箔を調べ、それぞれの金の産地をつきとめたならば、思いもかけない事実がわかってくるに違いない」66p
さて矢野さんがいうように、われわれは「近代的手法を駆使」し、微量元素などから金色堂の金箔の産地を明らかにしうる状況にある。さらに各地の古代中世仏像・仏具等の金箔調査も進めば、そこでは「思いもかけない事実」が間違いなく明らかにされるだろう。古代北海道からの移出品を科学的・物的に証明する「はじめて」の道、北方古代史のイメージを覆す道が開かれようとしているのだ。

「砂金掘り物語」(脇とよ)などを読む限りでは「アイヌは砂金を掘らなかった」(少なくとも明治時代中期辺りまでは)というのが一般的な認識なのだと思う。・・・それはともかくとして、砂金や金箔中の微量元素の違いで産地特定はできるのかなあ?・・・とりあえず片っ端から分析かけてみるんだろうか?こういうのは。