“山林”か〜  「箕輪町誌(歴史編)」

http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20121229#1356788354 浅野弾正の信濃黄金山に関する詳しい記述は「箕輪町誌(歴史編)」の中に・・・って、え?“山林”の項目の中に書いてあるの?

ここから 
http://www1.town.minowa.nagano.jp/html/pageview_rekishi/html/0891.html
http://www1.town.minowa.nagano.jp/html/pageview_rekishi/html/0908.html
この辺りまでかな?

http://www1.town.minowa.nagano.jp/html/pageview_rekishi/html/0895.html

文禄年間金山奉行浅野長政によって、真志野村「金子(かなこ)」による金の採鉱が稼行されていた。南真志野村共有文書によって、その一端を知ることができる。
元禄山論においてはこの記録によって戦国末以来この山に入会っていたと主張する諏訪側の主張は、後世に至るも幕藩権力に一定の作用を与え、宝永元年には元禄山論の裁許を有利に導いた点について、山支配の重層性をみるのである。
次に示す史料は、浅野長政配下の石本三右衛門が、真志野「金子」清林外の者に年内請切に金三分の運上で掘らせ、京都に在住する浅野長政にも連絡をとり、札を与え、札なく掘ることを禁じている。
文禄三年では運上金二分となっている。天正十八年以来高島城に白根野高吉が入り慶長はじめまで諏訪藩を領したが、同郡の金山支配は浅野長政が管理していた。

“産業”の項にも記述はあるのかなあ?