伊藤石見守

伏見城蔵納目録に関する調査を細々と続けていて・・・ 広瀬加兵衛と同様に有名でないというか情報の少ない“伊藤石見”
彼は
http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20120306

但馬中瀬山黄金山  別所豊後 伊藤石見 岡本権兵衛

と、中瀬金山からの運上に関わっている他に、豊臣秀吉の代官として生野銀山の経営に関わっていたようでむしろこちらの方によく名前が出てくる。伏見城蔵納目録の銀の運上で但馬国銀山の運上主が伊藤石見であるのはこうした理由なのだろう。
しかし、但馬地域の鉱山経営に関わった人という以外の情報は多くない。 
http://chachahime.hanagasumi.net/record/1604.html

慶長九(1604)年
六月十八日 大田美作守(「美濃守」の誤?/梶原政景?)・伊藤長親(「伊藤石見守長親」)、豊国神社へ石灯篭を寄進する。 豊国神社石燈籠銘

これで名前がわかる程度かなあ? 但馬地域の鉱山史料をあたればもう少しわかることがあるのかも?