松前蝦夷図から その1?

http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20150904 先日、函館市北洋資料館へ行った際に偶然見かけた『松前蝦夷図』


実物は函館市中央図書館蔵らしいが、それはさておき、古地図だから北海道最古(大野土佐日記の件はとりあえずおいておく)の産金地とされる“楚湖”や“大沢”の地名が記載されていないかとじっくり見てみると・・・

現在の白神岬付近に・・・



おっ!なんとか“ソツコ”と読める! 実物ならもっとはっきり読み取れるのだろうか? さて、楚湖の砂金はどこから出たのだろう?

福島町史 第二巻通説編(上 )第三章 第六節 陸上交通・駅逓・宿場
http://www.town.fukushima.hokkaido.jp/chiyohshi/mokuji/fukusima_3/3-3-6.html

松浦・吉野(当時は楚湖(そっこ)・礼髭といった)の下りは急峻で、駄馬の通行がやっとの状況であった。この下り道は幅二間、深さ五尺〜三尺で、今もその街道の規模、構造がよく分かる。下りには、福島の村々の配置や矢越岬、本州の山並が指呼に眺望できる。また右の断崖からは岬(明神岬)の上に楚湖明神(現白神神社)を見ながら、かつて砂金掘で多くの人が入り込んだ楚湖川へ出て、さらに礼髭村に出た。

この“楚湖川”の砂金だろうか? 福島町史にはソッコの意味として
http://www.town.fukushima.hokkaido.jp/chiyohshi/mokuji/fukusima_1/1-1-3.html

ソッコ 滝の川 (字松浦)

としている。 この辺りの川は勾配が急だからどこも“滝の川”になっているような気もするが・・・ 松浦川はそうだったな〜