大分の古い産金のお話

古い時代の金山や産金のはなしはどこまでが真実なのかよく分からないはなしが多いが・・・

http://blog.goo.ne.jp/oraccha2005/e/7fa1dd66c6fa4b69d84f1260f58ba0ba

「岩洞山久福寺と三日月神社」
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2015041000269/
原典は、松林史朗著「耶馬渓案内記」や「耶馬溪村誌」の様です。

案内記では、この記事(昔話)、貞操守る妻と難題解決を組み合わせた話の様です。
そこに砂金話が絡んでおり、その種の伝承が本当に、この地にあったのかが興味あるところです。

元のサイトの文章ではこうだ
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2015041000269/

4人目の跡田の具足(ともたり)には、錦の袋を見せて、「山国川の上流、草本の里には、砂金が山ほど溜まっている淵があると聞きました。その砂金をこの袋一杯に詰めていらして宮守の霊前に供えたら、私があなたと結婚することを許すでしょう!

最後に、4人目の具足は、「たかが袋一杯の砂金集めぐらい、なんでもないわい」と、さっそく草本村へ出かけていき、村人から、「砂金は千壺峡の滝つぼにある」と聞きだし、日頃から、泳ぎの達人だったとのうぬぼれも手伝い、淵に着くなり、ざんぶと飛び込んだ途端、渦に巻き込まれ、おぼれかけたところを(危く土佐衛門(どざえもん)になるところを、)様子を見に来た村人に助けられ、命拾いと引き換えに、恋を断念しました。

耶馬溪大分県北部、ここから少し上流には草本金山もあった場所。

量はともかく今でも砂金は採れ・・・るはず。 http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20141124 なので、8世紀の物語の当時はそこそこの量の砂金が採られていたのかもしれない。

・・・ここまでが前ふりで、「九州の金山にまつわる古いはなしといえば・・・」と思い出した話がある。 山梨県秋山村(現 上野原市)の金山(かなやま)金山の沿革にまつわる話だ。(続く・・・予定)