あ、この本は読んだことがあるなあ、しかし・・・
●合掌造りと地域性●(p34ー)
一言で合掌造りといっても、富山県側と岐阜県側では違って、白川村あたりは茅葺きでなく、板屋根も多かったそうです。北陸の大学の教育学部地理学教室で、故郷の合掌造りを研究したという男性のお話、面白いです。
p35には、山の水を上手に暮らしに利用していたことが出てきます。
「ホワタ」など場所や使い方によって呼び名が違うみたいですが、このあたりは井戸が掘れず、川の水を屋敷近くや時には屋敷中まで引いてきて、生活用水として使ったみたいです。
どのように水を引いてきたのかは分からないけど、樋を使って引いてきたのなら柴金採掘に必要な水を引く技術とまったく同じなのかも?
御母衣ダムには砂金産地も沈んでいるので技術が流用された可能性はある。岩瀬の若山家や矢箆原家は産金に携わり、ダムで水没するまでは岩瀬に住んでいたわけで、これらの家ではどうだったのか気になるところ。各家の旧宅は横浜の三渓園や高山の飛騨の里に移築されているから確かめに行ってみるのも良いかも?でも水道仕様に変わっているかなあ?