大湧金山のあと、光金山へ ここは私とHさんが別々の場所で製錬域を見つけている。
まずは私が確認済みの下流側の製錬遺構を確認。ゆり分けに使った池の跡を確認したかったが、見つからず(家に帰って確認したら、池らしきものは最上段のテラスにあるようだった。勘違い~)
次は沢でもないのに異常に出水している場所。坑口なんじゃないか?と思っているのだが・・・
やはりそうだ!
坑口上部が崩落して、下部から出水、そこには簡易水道の取水に使われるようなホースもある。ここが坑口の一つで間違いないだろう。
更に上流部のHさんが見つけた製錬域。私も林道上から何度も見ているが「多少怪しいが、柴金掘った跡?」程度の認識の場所。ところが林道から現場に降りて見ると!
季節的に藪が薄くて見え易いとはいえ、こんな石垣まで隠されていたとは!
この3段?のテラス群にも水車用?の水路とゆり分け用の?池が確認できた。
光金山は昭和の中期までは稼業していたようなのだが、水洞や落部の金山跡にも同じような水路と池の組み合わせが存在していて、こういった遺構からある程度稼業年代の推定ができないものかなあ?と考えるのだが・・・
今のところ明治~昭和中期頃としか言えないかな?