先日福光の図書館で桃源寺や医王(糸谷)銀山に関する追加の資料を探してきた。
『福光町史』上巻(1971年版)によると、医王銀山の享保13年の採掘願に
「清左衛門の先祖の畑孫助・助左衛門らは代代金山稼業をしてきた。医王山北谷と前山の出水の流れ合うあたりに渋田が多く、近年ことさらに多量に見うけられるから、銀鉱脈がまちがいないと思われるので、採掘を許されたい」
とあるそうで。
『医王は語る』附図の「医王山近傍の小名図」を見ると「北谷」は行者窟上流側の谷名のようだ。
「前山」は少し北側にあるようだが同図には名前がない。とは言え、銀山は行者窟やその近くにあった桃源寺付近にあったということでよさそうだ。
行者窟(禅定窟・広谷行者窟)に関しては『医王は語る』に計測図が載っている。
それによれば、奥行きは意外と浅く岩陰に近いもので、奥壁にあるノミ痕は明治30年頃まで掘削されていたという。また、不明ながら桃源寺との関係も「不明」としながらも触れられている程度に隣接していることがわかる。
うーん、行者窟の岩質を確認すればもしかして銀鉱脈の一部が残っていたりしないだろうか?