http://www.kousakusha.co.jp/planetalogue/kenji/kenji15.html#b
賢治とイリドスミンの関わりについては、後年金野英三 (『「イリドスミン」「宮澤賢治追」』(1934))が記しています。
花巻町で砂金を商っている店で、当時猿ヶ石川方面から買い集めた砂金には白い物が混入し、値安になるということを、宮澤賢治が聞きつけ調べたところ、イリドスミンであることが明らかとなったそうです。これが採取される河川の上流域、とくに東磐井から上閉伊郡地方を七回も調査したといいます。
「蓋し之は上流の岩石中に胚胎せるものにして其崩壊によりて砂鉱となれるものなりと思ったからである」と記しています。これは、いわゆる砂鉱床(さこうしょう)を意味し、風化浸食作用による岩石や鉱物の破片が風や流水で運搬淘汰されて機械的に濃集堆積したもので、「漂砂鉱床」とも称します。彼は、イリドスミンを蛇紋岩系統の岩石由来のものと推定したわけです。
こうして前述の「岩手軽便鐵道 七月(ジャズ)」(『春と修羅第二集』所載)がつながります。賢治はイリドスミンを胚胎する母岩の鉱染鉱床(微細な鉱石鉱物が母岩中に散点するタイプの鉱床)を探査するより、砂鉱床を探すべきだったと反省しているのです。
賢治は最晩年まで岩手県下でのイリドスミン採掘を夢見ていたのですが、体調不良で調査を中断せざるをえなくなり、結果的に直接発見はできませんでした。ともあれ「岩手県にイリドスミンのある事を初めて発見したのは実に同君である」(金野,1934)という事実は変わりません。
この紫色の領域〜下流で出るのかね〜? M木さんあたりは採集していないかな?
「イリドスミン」(金野英三)が収録されている「宮沢賢治研究資料集成 第1巻 」というのは結構高いな・・・どこかでコピーだな。