「本吉金」の歴史に光

こちらは現気仙沼市本吉町のはなし
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2009_03/k/090318k-kin.html

 平安時代の平泉黄金文化を支えた「本吉金」の歴史をひもとこうと、本吉町の馬籠風土研究会(大江武夫会長、十一人)は十五日、同町午王野沢地区内の山林で奥州藤原氏が開発したとされる「宮城金山」に連結する導水路の発掘調査を行い、幅百五十センチ、深さ約五十センチほどあるU字溝状の水路の痕跡が確認された。
 メンバーら七人が参加。民家の裏山から山林に入り、金山の導水路とされる場所二カ所を土地所有者の許可を得て掘ったほか、山を掘って採取する「芝金(しばきん)」を露天掘りした跡と思われる場所も視察した。
 導水路らしい痕跡は登山道のように山の斜面に沿って緩やかに下りながら続くが、登山道と違って里に向かっておらず、覆っている土は軟らかく、中央部がくぼんでいるのが特徴。メンバーがスコップなどで枯れ葉などが積もってできた黒土部分を掘り続けると、底に粘土質の水を通さない赤土が現れ、その両側の赤土は緩やかに湾曲して浅いU字溝の形になっていた。少し離れた別の場所もほぼ同じような赤土の状態になっていた。
 大江会長は「導水路が赤土を敷いて造ったのか、山の赤土を直接掘ったものかまでは分からなかったが、赤土部分の底が平行に続いている水路の特徴などが確認できた」と話した。
 馬籠地区にあった「宮城金山」は戦前まで採掘され、国道346号沿いには今も「金山入口」というバス停がある。地元ではこの金山をはじめとする田束山周辺が奥州・藤原氏の産金地だったことや、午王野沢、大田和山に大規模な堤防を築いた貯水池があり、そこから水を引く導水路の存在が言い伝えられていた。
 導水路は黄金山、深萩、金山や表山田の百百(どうどう)まで総延長十キロに及ぶ大規模なものであったとされ、「地元住民だけでこれだけの大規模な工事が行われたとは考えられず、造成には奥州藤原氏が深くかかわっていたのではないか」と推察する会員もいる。

あ・・・れ?本吉町史も以前にコピーを取ったつもりだったがないなあ・・・またJOGMECへ行ったときに借りにゃならんのか〜?