雨宮敬次郎

昨日、山梨県立博物館を訪れた際、資料閲覧室 http://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_sisetsu_04siryou.html にも立ち寄ってみた。以前来た時に雨宮敬次郎に関する書籍が何冊かあったのを見ていたからだ。
調べてもらったところ収蔵されているのは3冊。1冊は郷土の偉人の紹介を目的とした本のようで、記述も少なめだったが、他の二冊はなかなか興味深かった。

「過去六十年事蹟・雨宮敬次郎述」の完全復刻版+αだそうで、p.147-158に“砂金採収ノ苦心”に「砂金掘り物語」(脇とよ)の雨宮砂金採取団結成の前日譚となる記述がある。

  • 「近代を耕した明治の起業家・雨宮敬次郎」(三輪正弘)

こちらも基本的には同じ内容で“砂金採取の苦労は実ることなく”と現代風に書き直されている*1。これらによると、雨宮敬次郎自身、明治19年(1886)頃砂金の採取に関心を持ち、気仙沼、月山、湯殿山などを調査するが採掘を断念。北海道にはまだ可能性があると北海道鉱山局長に全道の採掘権の譲渡を持ちかけるも当面は渡島、函館近傍、石狩辺りに限定しての許可しか得られず、利別川の三又*2で試掘をするも、一帯は砂金の採掘跡である石垣だらけだと聞かされて利別川をがっかりとした気持ちで*3丸木舟で瀬棚へ下った・・・ということらしい。
ん?自身現地調査をして断念しておきながら、後年雨宮砂金採取団を利別に派遣したのは何でだろうね? とか、三又の採掘跡は江戸後期の http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20110427 この辺りの採掘跡なのかな〜?とか、採取団が日高に入るのが利別より後になるのは許可関係が絡むのかも?とか、もう少し調べてみると面白いかなあ。

*1:多少前書から欠けている部分がある

*2:現在の後志利別川、美利河ダムのある辺りだったかと・・・

*3:・・・“がっかり”とかは書いてありません(笑)