洗馬と鉱山

http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20130301

あいかわらず分かったことは少ないのだが・・・

平安時代(794〜1185年)は洗馬の牧、鎌倉時代(〜1334年)は洗馬の庄と呼ばれ、江戸時代(1603〜1867年)に入り、洗馬の郷といわれ、古見村、針尾村、小野沢村、西洗馬村に今の塩尻市洗馬の小曽部、岩垂、本洗馬の各村がこれに属していました。洗馬の郷ははじめ松本藩に所轄されていましたが、元和3年に高遠藩に属し、明治4年藩を廃した高遠県となりました。
その後、筑摩県となり明治9年8月長野県の所轄になりました。また、洗馬の郷7か村から明治6年12月村々合併の令により、翌7年10月、古見、針尾、小野沢、西洗馬の4か村が合併し山本村と称しました。山本村は明治16年一度分村し、元の4か村にもどりましたが、明治22年5月1日、市町村制施行により再び合併し、「朝日村」と称し今日に至っています。

洗馬って結構、広範囲?
で、塩尻市朝日村に砂金の伝承や鉱山があったか調べてみるが、やはりネット上では見つからない。 ただ、このあたりで、最近砂金を採った話もあるし、鉱山があるよという話も聞いているので、近々掘りに入って見ようかな、と思っている。塩尻の洗馬には図書館もあるようだし。

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こちらと鉱山の関係を調べてみると“信陽鉱山”に関する文献が容易に見つかる。
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/09_08_03.pdf
http://www.gmnh.pref.gunma.jp/research/no_13/bulletin13_9.pdf
浅熱水性の蝋石鉱床で、これに関連して金が出たかどうかは分からないが可能性は・・・ある?
しかし、ここも位置から考えると松代藩じゃなくて上田藩の領域な気がするなあ・・・

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結局のところどちらも松代藩 酒井忠勝とのつながりが見出せない。今のところ。