「伏見城蔵納目録」http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20120306の黄金山の中に“塩尻市洗馬”の(砂)金山を見出すことができるか?
「伏見城蔵納目録」の信濃の黄金山は4つ。運上主の慶長2年時の居城と江戸時代に入ってからの領分(藩)
・・・で、領分から現代のどこの金山か推定しようと思ったら、ある程度の答えは『日本鉱山史の研究』(小葉田淳)にすでに書かれていて、
と、なるようであるが、“伊奈・筑摩・安曇の金山については明らかでない。”(p.290)とある。
京極修理の信濃伊奈郡黄金山については、現在の飯田市あたりには著名な金山はない(と思う)が、「伏見城蔵納目録」の書かれた3年後の慶長6年には高遠領主保科正光が“茅野市金沢の金山が高遠の領有であることで決着がついた”という意味の手紙を書いているそうなので、運上の行われた慶長2年時には茅野市金沢の金山で領有争いが生じていた可能性はあるのではないだろうか?