昨日書いた天人峡の金山、天人峡は地図を見るとちょうど東川町と美瑛町の境付近にある。地質的には美瑛町側の方が有望そうではあるが、それはさておき、沿革などはどうなっているのだろう?
2000.7.8の北海道新聞によれば天人峡付近で発見された金鉱脈は1900年頃の発見らしいのだが、『郷土史 ふるさと東川 II 激動編』によると1931年美瑛町クワウンナイ沢(化雲川)で発見されたものだという、、、二つは同じ金鉱だと思うのだけど、少し時期がズレているような、、、
そしてなぜか美瑛の町誌にはこの金鉱脈・鉱山の話は全く出てこない。ん?、いや、両町の天人峡(松山)温泉に関する記述を探してみる価値はあるかも? なぜなら先の新聞記事にはこうあるからだ
このころ同川支流で金鉱が見つかったため、鉱脈熱に浮かれた人が数多く集まった。これが当時の松山温泉、今の天人峡温泉の前身だ。
と、すれば天人峡温泉の項には金鉱脈に関する記述があっても不思議ではない、、、と思うのだ。
今日は図書館休館日だったので調査は来週になってからだな。