昨日の報告書のタイトルで検索してみたら・・・
⓵城山~宝が峰~金精錬
今回は、城主内藤氏が住んでいたと想定されている御屋敷曲輪の出土品を再検討しました。注目されるのは、金粒付着かわらけが出土している点です。かわらけとは、通常酒杯などに用いられる素焼きの器で、金粒付着かわらけは金を熔かすために坩堝(るつぼ)として転用されたものです。このことから津久井城で金の精錬が行われたことが推定されます。また、御屋敷曲輪では鍛冶炉と推定される「炉跡」もみつかっています。金の精錬が推定される津久井城ですが、その城主の内藤氏は家臣団の中でどのような位置づけなのでしょうか。これまでの研究によると津久井領を支配していた内藤氏は、当初は他国衆(外様国衆)でしたが、次第に勢力を伸ばし、北条一門・家老に匹敵する譜代重臣と呼ばれる高い政治的地位に位置付けられた、と考えられています。(黒田基樹氏 1997 「津久井内藤氏の考察」『戦国大名の支配構造』岩田書院)
先ほど述べた津久井城での金精錬を加味すると、家臣団の中でも高い地位に上げられても不自然ではないでしょう。また、武田氏と相対する境目の城として要所の守護を任せられるほど有力な家臣であったとも考えられます。
あ、ここでも金粒付着かわらけが出土してるんだ。
さて、この金はどこから持ってきた金なのか?
もちろん、近くの産金地である神奈川県津久井郡牧野村(現 相模原市緑区牧野)や隣接する山梨県南都留郡秋山村の金山金山の金の可能性も考えられる。
・・・更に探したら、あら、2年も前に分析の報告書が出ているじゃないか・・・
『国立歴史民俗博物館研究報告 第210集 2018年3月』「津久井城出土金粒かわらけと小田原城出土金箔かわらけ等の主成分分析結果」
以上からみると,金粒付着土器の発見や金鉱石の成分分析の報告はまだないものの,本分析資料の金粒は,駿河の各金山や,土肥金山など伊豆の金山が原料の産地である可能性を考えておいた方がよい。
ふーん、金銀比からみると伊豆の金山の可能性は低いかな~? と思うのと、亜鉛の検出は砂金ではなく山金由来を思わせる結果だ。報告書には相模の国内の金山・産金に関してはまったく触れられていないけど、丹沢山系からの金の可能性は検討くらいはしても良いんじゃないかなあ?量的に期待はできないのかもしれないが。