『室町幕府の外様衆と奉公衆』

内ヶ島氏を調べていると「室町幕府の奉公衆であった」と書かれていることがある。

図書館で歴史書のタイトルを眺めていたら・・・『室町幕府の外様衆と奉公衆』(木下聡) タイトルに“奉公衆”と入っていたので借りてみた本。 

奉公衆って?

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奉公衆(ほうこうしゅう)は、室町幕府に整備された幕府官職の1つである。将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた。番衆(小番衆)とも。

鎌倉時代の御所内番衆の制度を継承するもので、一般御家人地頭とは区別された将軍に近侍(御供衆)する御家人である。奉行衆室町幕府文官官僚であるとすれば、奉公衆は武官官僚とも呼ぶべき存在であった。

 自衛隊の制服組みたいな位置づけかね?(いや、戦闘もするんだろうけどさ) で、内ヶ島氏(この本の中では“内島”)は応仁の乱後に新しく現れた氏族として記載されていて「これら氏族は応仁文明の乱で没落、あるいは下国した奉公衆の数的穴を埋めるためであろう。」と解説されている。

1460年頃に白川郷を領地とした内ヶ島氏は1400年代末(長享・明応)に奉公衆として現れるのはその間、白川郷が軍事的にも領地経営的にも比較的安定していたってことかねえ? 正蓮寺との争いはあったけど・・・いや、蓮如は「室町幕府の奉公衆たる内ヶ島氏と争うな」という文書を門徒宛てだったか息子に宛ててだったか出しているから、内ヶ島氏としては奉公衆になることは本願寺勢力との争いに関して有利に働いたはずだ。

そのために奉公衆になったということはないんだろうけども。