金森氏への忖度?

根拠は無い話

https://garimpo.hatenablog.com/entry/2020/10/30/000000

津島市史に収録の「大吉御檀那帳」には六厩の坊主げん屋(幻西)は「ぜん衆ナり」と書かれている。

今まで気にしていなかったが、六厩の坊主幻西は後に了宗寺となる道場主であり、宗派は浄土真宗(東本願寺派)である。

先のぜん衆が禅宗のことだとすれば、一般的には臨済宗曹洞宗黄檗宗のことだそうで・・・なぜ、浄土真宗のはずの幻西が禅宗を名乗ったのか?

実は秀吉配下の将として飛騨に入ってきた金森氏は、どうやら曹洞宗だったようだ。なので、飛騨の支配者となった金森氏に忖度して浄土真宗から曹洞宗に改宗までしたかはともかくとして、対外的に「禅宗ですよ」と名乗ることがあった・・・かもしれないなあ~、と考えてみたりする。

あの照蓮寺ですら、金森氏の意向で白川郷(現 高山市荘川町中野)から高山の街中に移転して金森氏の飛騨支配の道具として動いていた時期があるのだから。

・・・まだ、根拠の無い話。