京都の砂金

昨日行った場所とは違うけど

ああ、左京区を流れる鴨川ってちょろっとなのね・・・

 

で、ここのところ考えているのは、この程度には砂金が産出するのに古代中世の歴史上に京都の砂金が姿を現さないのはなぜなのか? 灯台下暗しと言ってしまえばそれまでだけど・・・

749年の陸奥産金の900両のように大量の砂金が産出しなかったから? でも750年の田子の浦の産金は数g程度だがしっかりと歴史上に残されているわけで量の問題ではないんだよなあ。