数年ぶりに「洗馬・瀬場の話」に進展があった。
『甲信の戦国史 武田氏と山の民の興亡』(笹本正治)の第6章に金を求めてという項があるので読んでいると慶長3年の伏見蔵納目録を引いて、運上金第十五位、六枚三両二分の“筑摩郡洗馬金山(石川康長運上)”とある! おー、これは
まさにこの時に考えていたことではないか。
さて、この本には洗馬金山の詳細は書かれていないし、慶長3年の伏見蔵納目録には“信濃黄金山”としか書かれていないはず。何か“洗馬金山”とした根拠があるはずだが、これはどの本?どの論文?に載っているのだろうか?
でも、ここまできたら誰に聞けば答えが出るかは分かっているのだし・・・楽しみだなあ。
今週図書館で借りてきた本は大当たり!が続くなあ~