http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20151020
西暦750年の多胡浦(現 静岡市清水区蒲原小金)の産金 以前に文献で調べたら現地は海からも川からも離れた場所。隆起で海から離れてしまったか、古代のはなしなので伝わっている場所が多少誤っているのだろうと思ってきたが・・・
産金のあったとされる蒲原小金はここ
・・・地区としては山もあるが海岸近く、だけど現在の波打ち際からは数100m離れた場所。以前読んだ資料だと山際だったはずだ(肝心な資料が神奈川だ〜)。
さて今回ネットで見つけた話・・・
つまり、三保半島の長期的な平均隆起速度は200年で1.5mとなり、それを過去に外挿すると400年前の三保半島の標高は現在より3m低いことになるが、その高さではまだ半島の付け根は海に没しないので、家康の時代は半島の形が維持されていたことになる。
— うさはかせ Prof.Lièvre (@usa_hakase) 2017年11月21日
さらに過去にさかのぼると800年前は6m低下となり、1200年前は9m低下となる。つまり、1200年前くらいの平安時代には三保半島は島であったとみて構わないだろう。
— うさはかせ Prof.Lièvre (@usa_hakase) 2017年11月21日
三保半島は産金のあった当時、標高が9mほど低かったのだという・・・
約16km離れた蒲原小金も同様だったとすると
県道396号付近はちょうど現在の標高9m前後になる。伝承とも調和的だ。 西暦750年の当時、このあたりの海岸線で砂金が採られたんだろうなあ。
この浜では今でも砂金が採れないだろうか?