六厩岡田家と金にまつわる話

荘川村史 続巻』の「岡田家の風土記」から岡田家各代の活動時期と産金に関する事項を拾ってみる。西飛騨の産金の様子が窺えるかも?

 1250頃? 南部屋荘兵衛 加賀→六厩

 1400後半 開基明西 六厩?

 1500初頭 2世了宗(小原長者) 松谷・楢谷・麦島、六厩

 1500末~1600初頭 4世幻西 片野、六厩(大西→大なし?大留?、西ヶ洞)盛山→名古屋城金の鯱の逸話

 1700中頃 8世拾恵(岡田荘三郎) 不明

 1800初頭 11世了圓 この頃金産出減少か?

 明治22没 14代岡田荘三郎(勇蔵) 六厩(大湧山・地獄谷)盛山

 昭和27没 17代岡田廣松 台湾・朝鮮、北海道、根尾村、高根村、大原、楢谷、六厩

 

なるほど、名古屋城の金の鯱の話の出所はどこなのかと思っていたが岡田家の話だったか。ちょうど時期的にも飛騨の金山の盛んな時期が金森時代といわれるのに合致するね。上滝付近の砂金採取が盛んだったのもこの時期なんだけど、その辺りには手を出さなかったのか?この記録に書かれなかっただけなのか?

 

 2020.4.29追記:『飛騨編年史要』によれば 文亀2年(1502)4月18日に飛州照蓮寺門徒六馬屋村幻西本願寺実如から本尊裏書を受けて後の了宗寺であることが書かれている。 岡田家の伝承は話が前後したりもするのでいろいろと注意が必要だ・・・