金山をつないだ峠道

金森氏の飛騨侵攻、先日は南回りの金森可重のルートのはなし

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今回は北を回った金森長近のとったルート。現在の荘川町牧戸で可重と分かれた長近は庄川沿いに北上し、続いて柴金採掘が残る(さて当時は採掘前か?後か?)森茂川に沿って遡り・・・森茂峠を越えて小鳥川に出たのだろう(そして天生金山付近を通って・・・)

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さて、現在車の通れる森茂峠は地図中の緑線。しかしこれは比較的新しい道だそうで、『きよみ風土記』(清見村)によれば

古く戦国時代から金森領時代の森茂峠というのは、現在の片野川をさかのぼって支流わさ谷をつめ、尾根越えをして森茂スジ川の上流小沢谷へ出たものでした。 

 確かに片野金山現地を案内してもらった時に「ここを越えれば森茂金山だなあ」と思った記憶がある。同時に「ここをヤブ漕ぎして越えるのは・・・」とも思ったが。

ともあれ1600年代まで森茂、片野両金山が盛んな時期には、この赤線で示した旧森茂峠が使われ、金山の衰退とともに現行の緑で示す新森茂峠が使われるようになったと思われる。