飛騨の鉱山開発の始まり・・・メモ的に

あくまで今のところの印象として・・・

ネット上で越前・加賀・越中あたりの金銀山の始まりを調べてみると飛騨の金銀山と比較して特に古いかというとそうでもない感じ。慶長あたりに開かれたものが多いようだし、これに前後して飛騨の金銀山の記録もあって概ね同時代に開発されているんじゃないだろうか?

なので飛騨の鉱山開発が「越前や加賀の山師によって開発され~」というのは茂住宗貞(越前大野)や宮島平左衛門(加賀)が飛騨の多くの鉱山を発見・開発した(と言うことになっている)からな訳だな。

地理的にも実際越前や加賀からの人間が入ってきているのだろうけど「越前(加賀)の○○金山からやって来た山師が~」という話が伝わっている訳ではなさそうだ。

 

 

(とは言え、松谷で金を掘ったと言う大原の前田家、六厩の岡田家はそれぞれ越前、加賀から来たと伝えられている。でも、この話自体がかなりマイナーであることと飛騨に入ってきたのが鎌倉時代とされることから、鉱山史の研究家に知られているとは言い難い。)