南部屋荘兵衛・・・その2

富山県の礪波に入ってきた南部氏は

庄川町史. 上巻/1975.6 | テーマ別データベース | リサーチ・ナビ | 国立国会図書館

隠尾城と里山
隠尾城 南部家祖 里山七ヵ村

ああ、おそらくこの辺りに南部宗冶が礪波に入り鉢伏山に城を築いた話が出てくるのだろう。

 

現在でもこの地域は南部姓が多いようで・・・

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全国的に見ても礪波~金沢にかけては南部姓が多いようだ.

福井県永平寺町に多い訳は後の時代に原因が? 

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・ 日本家系家紋研究所編集の『南部一族』には以下の記述あり。
 戦国の頃、越前朝倉氏の家臣に南部勘解由義綱あり。一向一揆の騒乱の後、吉田郡上志比村の藤巻に土着帰農せりといい、栗須波には南部十右衛門義光が、同じく帰農せしという。更に大阪夏の陣の後、南部喜左衛門も石上村に来る。かくて此の地方には、現在二百戸程の南部氏あり。此の一族の先系は不明なるも、或は伊勢の南部氏の分れ、織田氏の乱を逃れて越前に奔り、朝倉氏を頼りしものか。

ともあれ、加賀から南部氏族が飛騨に移り住むことはそれほどおかしな事ではないのかも?