樺戸地域の産金

http://blogs.yahoo.co.jp/sakiyama_tomo/30078856.html
いろいろと興味深い記述がある。引用だらけになってしまうけど、記録の意味で転載させて頂こう。

新十津川町の惣富地(そっち)川支流に、砂金沢川がある(図面参照)。ここの砂金採取については「新十津川物語」(川村たかし著)にも登場する。

川村たかし著の「新十津川物語」は、どうやら全10巻らしいのだが、どの巻に砂金採取の記載があるのか不明。セットで購入してもすごく高額という訳ではないけどさ・・・

1 「浦臼町百年史」 p-856
 砂金が、どの川の上流でも多少にかかわらず採れたことは、入山した人のあったことを物語っている。「岩見沢百年史」によると、明治35年7月1日付の「北海タイムス」が、浦臼砂金の状況を次のように記録している。
『樺戸郡浦臼村字オサツナイ川砂金は開放日尚ほ浅きを以て、現今採取に従事する者は100名内外なるも同地にては、非常な人気にて之を聞きつけ入場するもの尠からず、而して同川の地層および砂礫は北見国に於いて有名なるウンタンナイ川支流エトロンマップ川と酷似する所あり、然れども同川の砂金は砂礫中に少なくして多くは川底、即ち地盤に付着して居るもの、如く1日1人の採取量は1匁乃至5匁の間に在りて、北見地方に比すれば稍々劣れるも、交通の便利なる処より採取人の入場す者頗る多しという。』
(中略)
 浦臼の砂金掘りは、明治22〜23年ごろと、浦臼文化財クラブ第122回研究資料「浦臼の鉱物について」の項に記録されている。採取に係わる詳細の資料は乏しいが、この砂金採取期間は長く続かなかったものと思われる。

浦臼町百年史」に「岩見沢百年史」の内容が引用されているってこと?

4 於札内沢の砂金採取の覚え 
 於札内川流域の鶴沼在住のM氏(大正7年生まれ)及び小林和夫氏(昭和7年生まれ)から、於札内沢で砂金採取が行われていたことを伺った。
 砂金採取で生計をたてるのではなく、農業の閑な時に居住者が採取していたとの事である。M氏は複数の方が採取していたのを覚えている。小林氏はK氏が砂金採取の最終段階である「揺り板」を使用している現場を見るとともに、ビンに入った採取した砂金も見たそうだ。

この人達は既に直接掘った事がある世代ではないってことかな。砂白金がそれほど産出しない地域だからな〜 もう少し北の雨竜川流域だったら違ってくるかもしれない。*1

*1:砂白金は軍需物資として終戦まで盛んに採掘されていた