茂住・金森・糸屋・打它と言えば後に続くのは「宗貞」と飛騨の鉱山史に触れたことがある人には当然の?知識。
とはいえ「諸説あります」な人物で~
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/2182058
長近の死の直後、宗貞は屋敷に火を放ち、大量の金銀を持参して出国し、越中に入ると金森姓を捨てて打它宗貞と名を改めた。
この辺りも本当のところはどうなんだろう?
「茂住宗貞の研究」は古文書も読めないといけない世界なので難しいが、「茂住宗貞の研究史」くらいはまとめてみたいなあ、とは思う。