あー、数年前に調査に来ていた方の研究かなあ?
1586年天正地震は世界遺産・白川郷の南約7kmにある帰雲山の大規模斜面崩壊をもたらしたことで有名だがいまだ謎が多い歴史地震である.栗本君が堰き止め湖沼堆積物などを見つけた水沢上(みぞれ)崩壊地は中京圏の人になじみ深い郡上市「めいほうスキー場」の対面. https://t.co/QW5HDkZWOV
— 苅谷愛彦 Yoshi Kariya (@yoshi_kariya) April 9, 2025
CS立体図で見える崩壊地形の様子
さて、ここは大崩壊に関連する伝説が複数残される場所で、私の知る限り・・・
1. 白山で盗まれた黄金の像を水沢上の鉱山の炉(実際この付近には鉄山が存在した。 山を越えた場所には松谷金山も存在した。)で融かそうとするが何日かけても融けない。ついに天正地震が発生し、水沢上の集落ごと大崩壊で埋もれてしまった。
2. 大崩壊は吉田川を塞き止め、水位が上がり池ができた。集落も水没したが、老婆が一人大岩の上に上がり難を逃れた。
3. 水沢上の集落には道場(寺)があった。道場には金森氏の飛騨侵攻に備え近隣の高山市黒谷地区にある浄念寺の法物(本尊など)が避難させられていたが、大崩壊でできた池に沈んだ。 震災から120日後に池に浮かび上がった本尊が回収された。 (本尊は元亀2年の冬に実如上人から与えられたとされるもので、おそらく「白川門徒」に宛てられたものと思われる。(未見))
この3つ。
確か、1の話には内ヶ島氏が関係するバリエーションもあって、それが故に内ヶ島氏滅亡の話として語られることもある。 白川郷または松谷金山の産金の史実が何かしら関係しているのではないかとも思うのだけど・・・
(例えば、金森氏の飛騨侵攻に際して松谷金山のあった楢谷・大原地区の有力者(小池・二村・鷲見(、そしておそらく前田、荘川に本拠を持つ岡田らも))は金森勢に対して激しい抵抗を行ったとされている。 戦の後、小池・二村は金森氏に恭順するが、前田は美濃地域に一時逃亡したとされる。 この時、前田・岡田らが失った金山・鉄山の権益が、融かせずに大崩壊に埋もれた黄金像の伝説へと変化した・・・なんてことは無いかなあ?)