『応永飛騨の乱六百年記念誌 姉小路と廣瀬』

なぜ内ヶ島氏が(広義の)白川郷を治めることになったのか? 多くの文章では「足利義政の命により白川郷に入った」となっているが、理由が書かれたものは少ない。 「鉱山開発のため」と書かれている文書もあるけど、それは後付けの理由なんじゃないかなあ?

別件で『応永飛騨の乱六百年記念誌 姉小路と廣瀬』(姉小路家・廣瀬家特別事業実行委員会)を読んでいると、たまたまp.163~165「15世紀における信州守護小笠原持長とその配下の武将内ヶ嶋氏等の飛騨・越中への進出」(坂部和夫)という論文が収録されていたので読んでみると『五箇山総合調査報告書』を引用して「足利義政または朝倉教景の命により信州守護小笠原氏配下の内ヶ島氏が越前主家斯波義敏勢力を駆逐するとともに、寛正の大飢饉を生き延びるために白川郷越中五箇山・川上郷を支配した(大意)」ということらしい。

・・・少なくとも白川郷あたりまではあまり農業生産的に豊かとは言えない気がするが、まあ、そういうことらしい。

 

信州小笠原氏が関係してくるなら、もしかしたらそこから金山との関わりは出てくるかもしれないなあ?ちょっと漠然としているけど・・・